イエス・キリストは人々に、「心の貧しい人々は、幸いである」と語られました。この言葉は、不思議でありながらも、慰めを感じさせる言葉です。
ところで、「心の貧しい人」と聞くと、どのような人を思い浮かべるでしょうか。愛することに乏しい人、気落ちしている人、自信のない人。そのような人をイメージする方もおられるかもしれません。しかし、聖書が語る「心の貧しさ」とは、自分には限界があり、一人では生きていけないことを知っている姿のことです。

私たちは成長する中で、「早く一人前になりなさい」と励まされます。もちろん、自立して生きることは大切です。しかし、いつの間にか「神様にも人にも頼らず、何でも一人でできること」が一人前だと思い込んでしまうことがあります。
しかし現実には、誰一人として生きていけません。苦しい時に支えてくれる人がいて、励ましてくれる言葉があり、見えないところで誰かの助けを受けながら、私たちは日々を生きています。
「心の貧しい人」とは、そのことを忘れない人のことかもしれません。心の貧しさを認めることは、豊かではない、不完全な自分を認めることですから、つらいことです。しかし、不完全であるからこそ、神様の恵みや人の助けを求めることができ、また、それを受けることができるのではないでしょうか。

イエス・キリストは続いて、「天の国はその人たちのものである」と約束されました。「天の国」とは、単にやがて訪れる罪のない世界だけを指す言葉ではありません。神様の愛と平安に包まれて生きる世界、と言ってもよいと思います。自分の弱さを隠して生きるのではなく、ありのままの自分を受け入れながら、神様の恵みに感謝し、互いに助け合って生きる平和な世界です。
本当の意味での「一人前」とは、何でも一人で抱え込むことではなく、自分の限界を知りながら、神様の祝福を受けつつ、人と支え合って生きることなのかもしれません。

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