キリスト教とは

キリスト教はどこから始まったのですか?

キリスト教は今から約2000年前、ユダヤの国(現在のイスラエル)に生まれたイエス・キリストを「救い主」と信じる人々から始まりました。 ユダヤのエルサレムから始まったこの信仰は、次第にヨーロッパ全土に広がり、多くの苦難の歴史を経て、西欧文化の基をなすようになりました。 1517年、マルチン・ルターによる宗教改革によってプロテスタント教会が生まれました。 その後、ピューリタン(清教徒)がアメリカに渡り、アジア、アフリカへと、キリスト教は全世界的な宗教に発展しました。 現在、クリスチャン人口は約20億人です。

キリスト教の神はどんなお方ですか?

「いわしの頭も信心から」という言葉がありますが、あらゆる宗教には信仰の対象があります。 日本では古くから神仏だけでなく、八百万の神(あらゆるものに神が宿っておられる)を拝んできました。

しかし、キリスト教は全宇宙を造られた「創造主なる神」を礼拝します。 この神は命と愛の源であり、与え主です。 この美しい地球に人間をはじめ、あらゆる生物をお造りなった神は、 私たちが意識する前から愛を持って私たちに関わっていてくださることを知るとき、 神がおられることを大きな喜びとして信じる信仰が芽生えてきます。

どうして愛の神が造られたこの世界に悲劇が多いのですか?

キリスト教の経典である聖書によると、神がこの世界を造られた当初は完璧で、愛と正義と調和に満ちていました。 しかし、最初の人アダムとエバが神の愛の戒めを破って禁断の木の実を食べて以来、 人間は自己中心の罪人に堕してしまい、私たちもその子孫として同じ性質を受け継いでいます。 その端的な現われが、人は自分の創り主である神を見失い、神に造られたお互いを信頼し、愛し合うことができなくなっていることです。 親子関係、夫婦関係、友人関係、国際関係(戦争)のトラブルはみなこの自己中心の罪から発しています。

私たちの世界に希望はあるのでしょうか?

愛の神は、ご自分がおつくりになった人間とこの世界をお見捨てになることは決してありません。 全知の神は、万全を期して救いの計画をアダムとエバが罪を犯す前から立ててくださいました。 御子イエス・キリストをこの罪の世界にお送りになりました。 主イエスは、神の真実と恵みに満ちた愛の生涯を送り、人間が犯した罪の刑罰を私たちに代わって十字架の上で受けて死んでくださったのです。 そして3日目に死からよみがえり、多くの弟子たちに現れてご自分の復活を確信させたあと天にお帰りになりました。

この主イエス・キリストを救い主と信じる者に罪の赦しを与え、神の愛を注いで自己中心的な生き方から神を愛し、 自分を愛し、隣人を愛する生き方へと変えてくださるのです。
やがて罪と死に支配されているこの世界を全く新しく造りかえるために、主イエス・キリストは天から帰ってこられます。 その救いの完成の日を私たちクリスチャンは心から待ち望んでいます。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

ヨハネによる福音書 3章16節

どんなに罪深い者でも救われますか?

自分が罪人であることを認め、イエス・キリストを「あなたの救い主」として心から信じて告白するならば、 神は、あなたがどんなに罪深くあろうとも赦し、ご自分の子供として受け入れてくださいます。 キリストの十字架の死によって清めることのできない罪はありません。 主イエスと共に十字架につけられ、死を直前にして自分の罪を悔いてイエスにすがって救われた極悪非道の強盗はそのよい例です。

「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、
その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」

ヨハネ第一の手紙 1章9節

救われるために修行や善行は必要ないのですか?

必要ありません。 自分の修行や善行で救いを得られるのであれば、わざわざ救い主がこの地上にこられる必要はありませんでした。 自分の努力で、自分を救い、新たにすることが不可能なので、救い主が必要でした。 キリストのもとに行くのに条件はありません。 ただありのままで行けばよいのです。 素直に自分の罪や弱さを申し上げ、赦しと清めと救いを求めればよいのです。 そのとき神はイエス・キリストによって赦しと新たに生きる愛の力を与えてくださるのです。 救われた結果として善行(神に喜んでいただける生活)ができるようになるのです。

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
決して行いによるのではない。
それは、だれも誇ることがないためなのである。
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、
キリスト・イエスにあって造られたのである。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、
あらかじめ備えて下さったのである。」

エペソ人への手紙2章8-10節

もっとキリスト教について知りたいのですが・・・

ぜひ教会にお出かけください。 礼拝や聖書の学びの会に参加してください。 個人的に聖書を学びたい方には牧師まで申し出てください。 教会にお出でになれない方には通信講座も用意しています。