島田 隼人 牧師

『いい気分!』  :  島田 隼人 牧師

セブンイレブン、いい気分、というテレビコマーシャルを覚えている方も多いのではないでしょうか。最近は聞かなくなってしまいましたが、以前はよく耳にしました。私は今でもこの言葉とメロディーを覚えています。何でも揃うコンビニエンス・ストア、セブンイレブンに行けば、いい気分になれる。とても考えられたキャッチコピーではないでしょうか。

さて、皆さんが「いい気分」になる時とは、どのような時でしょうか?
そして、反対に「悪い気分」になる時とは、どのような時でしょうか?

私たちは生きていると、いい気分で過ごせる時もあれば、そうでない時もあります。
今日はこの「いい気分」を、聖書に書いてある「平安」という言葉で考えてみたいと思います。

新約聖書ヨハネによる福音書14章27節には、次のようなことが書いてあります。

 

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。 わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

新共同訳:新約聖書ヨハネによる福音書14章27節

この言葉はイエス・キリストの言葉です。
ここでは、二つの平安が出てきます。
「わたしの平安」と「世が与える平安」です。

わたしの平安とは、イエス・キリストの平安です。つまり、イエス・キリストが体験していた揺らぐことのない、そして、変わることのない、心の平安です。
それに対して、世が与える平安とは、この世界が提供する、決して安定することのない、一時的な平安です。私たちは、この世が与える一時的な平安を求めて、色々なことに目を向けます。自分の心を満たしてくれる、いい気分にしてくれる何かを求めているのです。しかし、この世の与えるものでは決して埋めることのできない「何か」があると聖書は言います。

聖書の中に、ソロモンという王様が登場します。彼はこの世の全てを手に入れましたが、それでも心が「空しい」と言ったのです。つまり、この世の与える平安では、心が満たされなかったのです。そんなソロモンが出した結論が聖書に書いてあります。

 

すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。

新共同訳:旧約聖書コヘレトの言葉12章13節

この世において、神様を畏れ、その戒めを守って生きられた方こそが、イエス・キリストなのです。
そしてイエスさまがこの世で体験していた平安こそ、揺らぐことのない心の平安だったのです。