いよいよ、暑い夏がやってきますが、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。
さて、「目からうろこ」について考えてみたいと思います。
「目からうろこ」とは、急に何かのきっかけで物事の実態が分かり、理解できるようになることのたとえです。皆さんは目からうろこが落ちる体験をしたことはありますでしょうか。
「目からうろこ」という言葉は、新約聖書使徒言行録9章18節からきた言葉と考えられています。その箇所を読ませていただきます。
「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」

目からうろこのようなものが落ちた経験をしたのは、サウロという男性です。サウロは聖書をよく知っていましたが、イエス・キリストを救い主として信じていませんでした。それどころか、イエス・キリストを信じている人を迫害し、捕らえては牢獄へと送り込んでいました。そのため、当時の信者の間では、サウロは迫害者として有名で、恐れられていたのです。
そんなサウロが、ある日イエス・キリストと出会うことになります。その出会いの衝撃のあまり、サウロは3日間、目が見えなくなったのです。この3日間、サウロは何をしていたのでしょうか?
聖書を読むと、サウロは何も食べず、飲まず、ただただ祈っていたというのです。
自分が今まで信じていたものが間違っていたのだろうか?自分は神様のために活動していたと思っていたサウロは、実は神様の敵の働きをしていたことに気づかされます。
3日後、アナニヤという男性がサウロの所に遣わされます。そして、アナニヤがサウロの上に手を置いて祈った時に、サウロの目からうろこのようなものが落ち、元どおりに見えるようになったのです。サウロは、救い主であるイエス・キリストについてはっきり理解できるようになりました。
そして、偉大な伝道者『パウロ』としての人生がスタートしていくのです。
聖書の神様は、私たち一人一人にサウロと同じ体験をしてほしいと望んでおられます。イエス・キリストは私たち一人一人と個人的に出会いたいと望んでおられるのです。
そして、イエスさまに出会った時に、私たちの目からうろこが落ち、サウロのような新しい人生が始まるのです。