見捨てない  :  島田 隼人 牧師
皆さんは、「見捨てる」という言葉を聞くと、どのような思いになりますか。
「見捨てた」、もしくは、「見捨てられた」。
どこか関係が切れてしまい、孤独を感じます。そして、心が寂しくなるような言葉ではないでしょうか。
聖書の神様は、私たちがどのような状況にあっても、決して見捨てない神様です。
旧約聖書詩編9編11節には、次のようなことが書いてあります。
主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。 あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。
新約聖書ルカによる福音書15章に、100匹の羊と羊飼いのたとえ話があります。
ある時、1匹の羊が迷子になってしまいます。100匹いるうちの1匹です。残り99匹います。
皆さんが羊飼いでしたら、どうしますか?
まだ、99匹いるから1匹くらい、いいやと思いますか?それとも、迷子になった1匹を見捨てずに探しに行きますか?
このたとえ話では、羊飼いは99匹を野原に残して、失った1匹を探しに行きます。
決して見捨てないのです。たとえ話の羊飼いとは、イエス・キリストをあらわしています。そして、迷子になっている1匹の羊は私たちなのです。

たとえ話の最後は、羊飼いが無事に迷子になった1匹を見つけ出し、喜びで終わります。イエスさまは、迷子になってしまい、不安の中に生きている一人一人を探しておられるのです。そして、決してあきらめず、見捨てることはないのです。
今日、試練の中、不安の中、または孤独を感じながら生活している方もいるかもしれません。
聖書の神様は、あなたを探し続けているのです。
羊飼いであるイエスさまに出会った時、この世が与えることのできない平安が私たちの心を満たすのです。ぜひ、見捨てない神様に心を向けてみませんか。
それでは、皆さんの心に平安がありますように。