良心は神を示す
なぜ人の心に良心があり、道徳律があるのでしょうか。なぜ人を殺してはいけないのでしょうか。良心は民族を超えて多くの人が自然に持って いるものです。進化論が正しければ、なぜ人は世を善くしようとするのでしょうか。もし神が存在しなければ、私たちの心に書き付けられた良心が存在するはず がありません。進化論的には良心はむしろ生存には邪魔な物かもしれません。
我々が良心を持つのは教育の結果ではありません。単なる本能でもありません。神の律法が心に刻みつけられていると考えるべきです。どんな極悪人にも その痕跡はあります。習慣や罪などいろいろな環境因子が良心を沈黙させることができます。しかしどんな人にも必ず良心は存在しています。
「世界をよりよいものにしようとする無神論哲学は、言葉そのものにおいて矛盾する。共産主義者は神の存在を否定する。彼の動機は世界をより良いもの にすることである。なぜこのような矛盾が共産主義者に存在するのか。神の律法が、我々の心と同じように、共産主義者の心に刻みつけられているからであ る。」(キリスト教弁証論、フランク・コール、37-38頁、聖書図書刊行会)
すべてが偶然なら、人生に希望がありません。人間は虚無的にならざるを得ません。
「もし太陽系が偶然の衝突によって生まれたのだとしたら、地球上の生命の出現もまた、偶然ということになり、人間の進化もすべて、偶然ということに なります。もしそうなら、現在われわれが行なう思考もすべて偶然にすぎません――分子の動きの、偶然の副産物なのです。その点は、唯物論者や天文学者の思 考についても、他の誰と変わることはないのです。けれども、もしも、彼らの思考――つまり、唯物論や天文学――が、単なる偶然による副産物にすぎないとす れば、われわれはどうして、それらが正しいと信じられましょう。私は、どうしてひとつの偶然が他のすべての偶然を、正しく説明できるのか、まるで分かりま せん。」
(C・S・ルイス 偉大なる奇跡 56頁、新教出版社)
「正義・愛・その他これと同様なすばらしい人間の特徴のすべては、現在では罪に損なわれてはいるが、これらの特徴を持たぬ原因によって生み出されたとは考えられない。道徳的人間はその造り主としての道徳的神を持っているに相違ない。」
(フロイド・ハミルトン、キリスト教信仰の基礎、73頁、聖書図書刊行会)
カントは言っています、「それを沈思することしばしばにしてかつ長きにわたるに従い、常に新たなる感嘆と畏敬の念をもって私の心をいやましに充たすものがある、それは――私の頭上に燈めく星空と、私のうちなる道徳的法則」とである。」
(エマニュエル・カント、実践理性批判、225頁、岩波書店)