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カワセミ  :  池増 牧師
毎朝散歩をしている小金井公園内には金網で囲まれた池があります。
そこはカワセミの聖域で、野鳥の会の会員の方々がカワセミの営巣の場、また餌場として整え、管理しておられます。はじめのころは木々の葉やその合間に咲いたさまざまな色と形の花々に魅せられ、また姿は見えずともいろいろな野鳥のさえずりの声を楽しみながら歩いておりましたので、さほど気にも留めずに横目でこの場所も通り過ぎていました。
ところが、10年以上もカワセミ、コゲラ、オオタカなどを観るために来ているという一人の高齢者からデジカメで写したカワセミの写真を頂いてから、ぜひこの目で見たいと思うようになりました。彼らが池にやって来る時間帯はほぼ一定しているとのことで、そのチャンスにあずかることができました。はじめて双眼鏡でその美しい色彩の可憐な姿を観たときには感動しました。
一緒にこの機会に恵まれた主婦の方が、
「はじめてカワセミを見たわ。うわさには聞いていたけど本当に綺麗な鳥ね。さっそく埼玉の親戚にも電話してあげなくちゃ」と興奮気味に言いました。
「埼玉にはいないんですか?」
「いないらしいの」
するともう一人の女性が、
「ああ、今日は本当に良い一日になるわ。暗いニュースばかりが多い毎日でいやになってしまうけど、一羽のカワセミがこんなに多くの人を幸せな気分にさせてくれるなんて、なんて素敵なんでしょう」と喜びに声を弾ませました。
こんな会話を交わしながら、しばらく一緒に歩いたあとで、エレン・ホワイト女史(教育者・宗教家)の次の言葉が実感を伴って思い出されてきました。
さえずる小鳥ややさしい花を神がお与えになったのは、 あなたの人生の歩みを明るく楽しいものにしようとする 父の心からあふれ出る愛のゆえではなかったでしょうか。 花や小鳥はなくても生存に必要なものはすべて与えられていました。 だが神は、単に生存に十分なだけを備えることで満足なさりませんでした。 神がいかにあなたを愛しておられるかを知らせるために、 地にも大空にも美しいものを満たされたのです。
思いわずらってはいけません p.125
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