久保 司 牧師

イエスの生涯は私たちの模範  :  久保 司 牧師

あなたは、自分の人生を送るに当たって、どの様に生きていくか考えたことがありますか?
どんな人生を送りたいのでしょうか?
そのために何を目標とし模範としているのでしょうか?

 

神との交わり(祈り)

奉仕と奇跡、教えにと多忙な中、眠るのも惜しんで働かれるイエス・キリストの姿を、私たちは聖書の中に見ることができます。そんなイエスを支えていたものは、父なる神との交わりである「祈り」でした。
朝早くまだ暗いうちから、人里離れた場所にひざまずいているイエスの姿は、私たちに対して「祈り」の大切さを示しています。「祈り」は「魂の呼吸」とも言われ、実は人間にとって大切な行為でもあるのです。

協力

人は互いに支え合いながら生き、成長できるように神は造られました。そして神は教会を通してご自分の働きをなさるのです。
教会を体にたとえるとイエスは頭であり、私たちは体の各部分であると言われています。
それぞれに働きが異なっていますが(個性)、脳によってコントロールされ調和を保っています。その様に、人は互いに助け合い成長し合ってゆくのです。キリストに向かって成長することにより、お互いの距離は縮まり、心一つとなる経験に導かれてゆくでしょう。

 

赦す

神は限りない愛をもって私たちを救って下さいます。救いとは罪が赦される事です。神の赦しは完全で、それをもう二度と思い起こす事なく、始めから無かったとされるのです。
神はそうした赦しを私たちの間にも問われ、期待しています。そして、私たちが人を赦したいと思い、赦そうとする時、真の喜びが生まれます。
私たちが赦す事を学ぶためには、イエスがどのように忍耐し、奉仕し、教え続け、祈り続け、赦されたかを知る必要があります。神は愛するが故に叱り、愛されるが故に赦されるのです。

 

奉仕する

互いに助け合う事は人として当然のことであり、自然な事です。ですから奉仕することは、他者理解と共感による喜びと感謝の分かちあいであって互いに益となるのです。
空腹な者に食べさせ、旅人に宿を貸し、震える者に着させ、病人を見舞い、困っている人を助ける事などは特別な事ではなく、人としての自然の行為であるならば、認められたいとか誉められたいとかという思いは必要なくなります。イエスを模範として、この世の最も小さき者の僕として生きる事に、美徳を見いだすことは素敵なこ
とではないでしょうか。