久保 司 牧師

神様の助けはどこからくるの  :  久保 司 牧師

「目を上げて、わたしは山々を仰く。
わたしの助けはどこからくるのか。
私の助けは来る天地を造られた主のもとから」

旧約聖書詩篇121編1~2節

中央自動車道で、東京から西に1時間30分ほど走り、渋滞で有名な笹子トンネルを抜けると、やがて南アルプスの山々が正面に現れます。山梨県の最後のPAが「八ヶ岳PA」。八ヶ岳と鳳凰三山そして南アルプスが一望できる場所にあります。

その山々の中でひときわ目立つのが「甲斐駒ヶ岳」、通称「かいこま」です。家内は勝手に「私のシナイ山!」と呼んでいるのですが、私が今年チャレンジを考えている山です(ちなみに家内は絶対登らないでしょう。笑)。
山登りは、人生の縮図のようなものだとよく言われますが、実際に登ってみると確かにそうだと思います。

まずは登る山を決めるわけですが、それは人生の目標を決める事だと思います。そして、山頂に向かって登りはじめます。すると様々な問題に遭遇します。山に分かれ道があるように、楽な道もあれば厳しい道もあります。道を間違えると下山を余儀なくされたり、迷ってしまったり、最悪の場合、命も落としかねません。難易度の高い山に登る場合は、地図は勿論のこと、しっかりとした装備は必然です。更にパーティを組み、山岳ガイドも必要とされます。地図は聖書、山岳ガイドはイエス様や聖霊の神様、パーティは家族や信仰の友と言ったところでしょうか。


私は特のに山登りが好きと言ったわけはでないのですが、数年に一度、無性に山に惹かれ、今年はちょうどそのタイミングなのかもしれません。
さて、先にご紹介してある聖書の言葉ですが、山を眺めるたびに思い出す聖句です。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこからくるのか。」とあります。

山は古来より信仰の対象、あるいは信仰の場所とされてきました。旧約聖書を読んでみると、山に登り祭壇を築き礼拝を献げる様子が出てきます。私たちが山を見上げるのは、山の彼方からいつも私たちを見守り助けを与えて下さる神様を信じ、期待し、待ち望みつつ山々を仰ぎ見るのです。山々を仰ぐとは、遥か彼方におられる神様を礼拝することを意味しています。もちろん山岳信仰のような「山」を礼拝するのではなく、「山」を含め森羅万象を造られた創造主を礼拝するということです。

見上げる先には必ず助けて下さる方がいますから、どんなに状況が厳しく、辛く、苦しくても、目を上げて山々を仰ごうではありませんか。