牧師便り

イエス・キリストの生涯5 ~十字架「苦悩」~  :  久保 司 牧師

「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』

ルカによる福音書23章34節

神学生の頃、グループ研究発表で「十字架」をテーマにしたことがあります。その際、実際に少しスケールダウンした十字架を作ってみました。夕礼拝の時に発表ということで、赤い蛍光塗料を塗った十字架を司会者が担ぎ、ブラックライトで照らしながらの演出でした。後日、司会者だった彼は、肩にのしかかる十字架の重さにバプテスマを受けることを決心したそうです。
 「十字架」は様々なドラマを生み出すものだと思います。あなたの人生の中に「十字架」はどんな意味をもたらすでしょうか。

日頃イエス・キリストを妬み、憎んでいた祭司や律法学者たちは、法廷の場でイエスをどうにかして有罪にし殺そうかと企てます。
 ユダヤ総督ピラトは、群衆を前にイエスの裁判を行いましたが、何の罪も認めることができませんでした。しかし、イエスを妬む者たちに扇動され、そこに集められた群衆は「十字架につけよ!」と激しくピラトに迫りました。
 イエスはむちで打たれ、ののしられ、唾をはきかけられました。いばらで編んだ冠をもってきて頭にかぶせ、その上から棒でたたかれ、トゲはイエスの額に突き刺さり血が流れました。
 イエスはむち打たれたための疲労と苦痛と出血から衰弱されていました。それにもかかわらず、彼がまもなく釘付けされる重い十字架が、その肩に背負わされるのでした。

カルバリーという丘で、イエスの目の前に、十字架が横倒しにされています。その上に寝かされ、両手を伸ばされ、両足が重ねられました。そこに金槌と釘とが運ばれ、その釘がイエスの両手と重ね合わされた足に容赦なく打ち付けられました。
 イエスは、つぶやくことなくじっと耐えておられますが、苦痛のあまりうめき声を漏らします。彼の顔は青ざめ、大きな汗のしずくが浮かんでいます。
 十字架に釘づけられた後、その十字架ごと持ち上げられ、あらかじめ地面に掘られた穴に無造作に突き立てられました。体の重みによって、か細い掌骨が折れ、手足の釘が肉を裂き激痛が体全体に走ります。
 十字架の刑は死刑囚が餓死するまで放置するのが常でした。こうして苦しみながら死んでゆくのです。
 当時、十字架は呪われるべき恐ろしい刑罰であり、屈辱の極みだったのです。そしてその「苦悩」こそが私たちの 「罪」 を現し、その「罪」を「贖う」ためにイエスは犠牲となられました。(次号へ続く)