そのとき、イエスは言われた。
『父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです。』
今年は新型コロナウイルスの大感染で、世界中が不安の中に閉じ込められています。不安は私たちの心を狭くし余裕をなくします。すると自分中心になってしまい、他の人のことを思いやることに疎くなってしまいます。こんな時だからこそ、お互いが思いやり協力してゆくことが大事です。
イエスの十字架の両側に二人の強盗も十字架にかけられていました。
一人は、隣のイエスを罵り続け、もう一人はそれをたしなめていました。
ののしる強盗は自分のことだけを思い、嘆き、悔やみ、怒り、その矛先をイエスに向けています。
たしなめる強盗は自分のことを客観的に見て、嘆き、苦しみ、悔やみ、悲しんでいます。
そして、救いに値しない自分なのだけれど、その存在をあなただけでもいいから覚えていていただけると幸いですと、悔い改めたい意思をイエスに伝えます。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
『お前はメシアではないか。
自分自身と我々を救ってみろ。』
すると、もう一人の方がたしなめた。
『お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。』
そして、
『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。』
と言った。
するとイエスは、
『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。』
と言われた。
実は、イエス・キリストはこの強盗の罪を悔ゆる心と思いやりに触れて慰められたのでした。
また、イエスは十字架の上から御自分を十字架にかけた人々のためにも祈られました。
『父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです。』
そして、
成し遂げられた。
『父よ、わたしの霊を御手に委ねます。』
と大声でさけび、十字架の上で息を引き取られました。それは壮絶な死でありましたが、同時に大いなる愛の実現ともなりました。この十字架の死こそが、まさに私たちが負わなければならなかった「罪の結果である死」の身代わりになるのです。(次号に続く)