しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
不安に対する長い忍耐の生活はいろいろな意味で私たちの心を試します。そんな不安な心に力を与えるのが「希望」です。
人間の最大の不安は「死」とそれにいたるまでの「時間」ではないでしょうか。
私が信仰を持ったきっかけも実はこの「希望」が与えられたからでした。もう45年も前になります。当時私は母子家庭で、母と妹との三人暮らしでした。秋も深まった頃、母が交通事故で突然帰らぬ人となりました。
悲しみと失望で押しつぶされそうになったとき、教会に導かれ聖書を学びはじめ、「死」について「眠り」という表現がなされていたことに180度気持ちが動かされたのです。眠っているのなら、時が来れば目覚める!
その確信を示されたのがイエスの十字架の死からの復活でした。
イエス・キリストの生涯は私たちの模範ですから、彼の身に起こったことは私たちにも実現するのです。
十字架から下ろされたイエス様の亡骸は悲しみの内に墓に葬られました。弟子たちは深い悲しみと恐怖の中で失望、落胆していました。イエス・キリストが亡くなられて3日目の早朝、まだ暗い時間、光り輝く天使が墓の前に降りてきました。天使が近づくと地面が揺れ動き、墓を警備していたローマの兵士たちは恐怖に取りつかれ、そして死んだように地面に倒れました。
天使は大声で「神の御子よ、父があなたを呼んでおられます。出てきてください。」と叫びました。死はもはやイエス・キリストを支配することはできませんでした。イエス・キリストは勝利者として死からよみがえられたのです。
朝早く墓に来たマリアは、封印してあった墓の扉が開き、その中のイエス様の亡骸がなくなっているのを発見し、その前で泣いていました。
そんなマリアにイエス様は現れ、「マリアよ」と優しく語りかけられました。マリアはイエス様がよみがえられたということを嬉しい知らせをもって、大喜びしながら弟子たちのもとへ急ぎました。
その後、イエス・キリストは弟子たちの前にも姿を現され、40日間以上に留まられ、神の国について、はっきりと彼らに教えられ、喜びをお与えになりました。