牧師便り

聖書に示されたお正月  :  久保 司 牧師
 

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

ローマの信徒への手紙8章28節(新共同訳)

明けましておめでとうございます。
昨年は新型コロナウイルスの感染拡大によって不安な一年を過ごしました。
今年はどんな年になるのでしょう。神様の導きと祝福がより多く与えられますことをお祈りいたします。

新年

さて、お正月について聖書はどのように捉えているか少しお話ししたいと思います。
実はお正月については旧約聖書にあります。
ただ、日本のお正月とは違い、秋なのです。

旧約聖書によりますと、正月は第七の月の一日になります。今のカレンダーで見ますと、その時は収穫が済んだ秋の九月の下旬か十月の上旬でした。
そして、その頃に過越の祭り(贖罪日)も行われました(出エジプト記12章より)。
今から三千年程前より、全てのイスラエル人は断食して、エルサレムの神殿で色々な儀式がなされていました。その儀式の目的は人々が犯した罪を清める事です。主に、生け贄(動物や収穫物)を捧げる事によって罪が贖われ、神様の赦しを受け、人々の間には和解が与えられました。

正月から贖罪日までの十日間、人々は神様の前に自分の生活、心、思いまでも吟味しました。自分が被告人のように全知全能の神様の裁判に出頭するような経験でした。そして、罪に気付いたら心からの悔い改めが必要となりました。「正月」は一年中最も厳粛な時だったのです。
ですから現在においても、お正月に神様に礼拝を捧げることは、年毎に新たな気持ちで神様と向き合うという意味で大切なのかもしれませんね。
神様は、節目節目に自らを見つめ直し、悔い改めて神様に立ち返る事を求めておられるのではないでしょうか。
どうか今年が良い年として導かれますように。

子羊

蛇足ですが・・・
お正月の「おとそ」。これを漢字で書くと「お屠蘇」です。屠とは屠る(ほふる)殺すこと、蘇は蘇る(よみがえる)ことで、この二つを合わせて「屠蘇」となるわけです。これもまた、お正月にちなんで、聖書の過越の祭りを思わせますね。