島田 隼人 牧師

充電が必要な人へ  :  島田 隼人 牧師

さて、今回は「充電」について考えてみたいと思います。
今では多くの人が持っているスマートフォン。私も持っているのですが、よく気にして、見ているところがあります。それは、バッテリーの残量です。バッテリーがなくなったら動かなくなるので、よく確認するようにしています。そして、バッテリーが少なくなったらすぐに充電をします。
充電が完了して、バッテリー100%の表示バーを見ると、どこか安心します。
時に私たちは、自分自身のエネルギーがなくなった時にも、「バッテリーが切れた」という表現を使うことがあります。皆さんは、バッテリーが切れたことはありますか?
この通信を読んでくださっている皆さんの中には、今にもバッテリーが切れそうな方もいるかもしれません。充電が必要な方もいるのではないでしょうか。人間はとても器用なので、本当は疲れていて充電が必要な状況であっても、明るく振る舞って元気を装うことができます。

新約聖書マタイによる福音書11章28節~30節には、疲れて充電が必要な人へ向けられたイエス・キリストの言葉が記されています。

 

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

新約聖書マタイによる福音書11章28節~30節(新共同訳)

充電が必要になった時に、いくべきところをイエス・キリストは明確に教えてくださっています。そして、イエス・キリストのもとに行くか、否かは、私たち一人一人に委ねられているのです。
私たちは、この世にある様々な方法で疲れを癒そうとします。美味しいものを食べたり、旅行に行ったり、ゲームをしたり、動画を見たりします。それらは、一時的には私たちに休みをもたらすかもしれません。しかし、神様が私たちに与えたいと願っている安らぎとは、イエス・キリストとの交わりを通して与えられる心からの平安なのです。
疲れた方、休みが必要な方、そして充電が必要な方、ぜひ、聖書の言葉に触れてみませんか。
聖書の言葉に触れている時、私たちは神様から生きる力を受けているのです。