聖書の奇跡

奇跡は自然の法則に反しない  :  聖書の奇跡

今は科学時代だから、常識に反する奇跡はあり得ない、聖書に書かれているいわゆる奇跡的現象は、荒唐無稽である、インチキであるから、信 じられない、という考えが我が国でも一般的です。昔の人は騙せたけれど、現代人は騙されないぞ、というわけです。だから聖書は信じられないのです。

しかし、常識とは何でしょう。大昔の人の常識では、我々が普通に思っているテレビも自動車も、コンピュータも奇跡的なものです。奇跡は自然の法則に反しない皆さんはそのからく りを完璧に理解していますか。科学そのものも実は我々の常識から相当隔たっているのです。信じられないからインチキなのでしょうか。今は信じられない現象 も、科学の進歩によって、絶対将来明らかにされないとは言えません。今自分が立証できないからインチキであるというのは、知性的な人が言うべきではありません。

科学は自然界の規則正しさを見出そうとしますから、奇跡の可能性を閉め出してしまいます。科学は自然を研究し原理を解き明かすものです。科学は奇跡を認めません。しかしそれは自己矛盾なのです。

「それゆえ間違ってはいけないのは、科学が自然を越えるものを認めることを拒否したのは、言うまでもなく、「科学」の自 己規定に関してである、という点である。言い換えれば、自己の扱う範囲のなかに、自然を超越した何かを組み入れることを拒否したのである。そうすることに よって、科学は科学であることができる、と宣言したのである。したがって、科学がもし「奇跡」を科学的根拠に従って「否定」するとすれば、それは、自分自 身が設定した権域を、自ら犯し、権威の外に踏み込んでいる、という自己矛盾に陥ると言わなければならない。」

村上陽一郎、奇跡を考える、152-153頁、講談社

実は科学は奇跡を最初から除外しているので、科学が奇跡を否定するのは越権行為なのです。科学は奇跡について沈黙を守らねばなりません。