パスカルの賭け  :  聖書の奇跡
私は長年パスカルのパンセ―瞑想録を愛読しています。233に有名な「パスカルの賭け」と呼ばれる部分があります。
「神はあるか、または無いか」を言うことにしよう。(中略)一つの賭が行われ、表がでるか裏がでるかになっている。(中略)神はあるという表のほうを取って、損得をはかってみよう。二つの場合を見つもってみよう。もし勝ったら、きみはすべてをえるのだ。負けても何もうしないはしない。だから、ためらわず神はあるというほうに賭けたまえ。」
どんなに理性を働かせても、神がいるかどうかは分かりません。それで大抵の人は神がいない方を選んで人生を送ります。
神が存在しても存在しなくても、無神論者は永遠の滅びに陥ります。
私は神が存在する方に賭けます。もし存在すれば、天国へ行けますし、存在しなくても、永遠に滅びるだけです。
おわかりのように、どうせ賭けるなら、神が存在する方にかける方が、神が実際に存在するとき得をします。
上智大学名誉教授の渡部昇一氏は、「私はこの部分を何回繰り返して読んだかわからない。この「賭の精神」によって、私は1951年に洗礼を受ける決心をしたのである。だから決して忘れることのできない文章である。」「パスカル『瞑想録』に学ぶ生き方の研究」(致知出版社 2006年)。この本は先生からサイン入りで頂いた大切な本でもあります。
私は18歳以来神存在の方に賭けています。もし神が存在しなくても、私は神にあって人生に希望を持って生きてきて幸せだし、教会での豊かな交わりに満たされているし、まったく悔いはありません。
無神論者の方々、神存在に賭けた方が得ですよ。