聖書の奇跡

進化論は仮説である  :  聖書の奇跡

この度最新の進化論を研究してみましたが、驚くべき事に、今日でも進化論は文字通り「論」であって、推察理論ばかりで、単なる仮説でしかありません。まったく立証されていない仮説です。

大体進化論は絶対に証明されるはずはありません。進化論は何せ億単位の進化の年数を主張するので、せいぜい寿命100年の人間が見届けることは不可能です。ですから、科学者がそれを事実のように発言するのは、でたらめ以外の何ものでもありません。仮説であるならば論文で表現されているように、「と考えられる」、「と推察される、「可能性がある」、「と示唆される」、というような婉曲な表現にしなければ、科学ではありません。(皆さん科学論文を読んだことはないでしょうが、著者が断言できる科学論文はないのです)。

要するに、こんな科学が発達している時代に、神など信じられない、いるはずがないから、生物は自然発生したとしか考えられない、という現代の理性万能主義、科学信仰が進化論を生んだのです。しかし、前に論じたように、科学的に説明できないのですから、神がいないという考えは、ひとつの考えに過ぎません。

冷静に客観的に事物を研究すべきなのに、神はいないという大前提からスタートするのでは、本当の科学ではありません。進化論は無神論という宗教であると私は考えます。

「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。」

2テモテ4:3,4

次回から、進化論が科学的にいかに怪しい考え方かお話しします。