心は神を示す
クオリアとは「質感」という意味です。我々の世界には言葉で表現できないことが多数あります。
夕焼けという言葉で皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。子供の時海辺で見た夕焼けの記憶が蘇ります。磯の香り、寄せては返す静かな波の音、涼しいそよ風、水平線に没した大きな太陽、その後にゆっくり広がる夕焼け、それを見て声もなく感動している家族、自分がその家族の一員であることのほんのりとした幸せ感、これらを瞬時に思いだす人がいるでしょう。この微妙な感覚がクオリアです。いわば生きている実感と言えましょう。
これらをコンピュー夕では絶対に再現できません。「ほんのりとした幸せ感」など実に微妙な感覚です。コンピュー夕では、0と1という数字ですべての情報を表さねばなりません。
「神経細胞の活動は、客観的に測定することのできる性質である。ー方、その結果生み出される意識の体験は、主観的にしか感じることのできないものである。脳の神経活動と意識体験の間に密接な関係があるということは、その両者を統一する、ある普遍的な法則の存在を予感させる。しかし、その普逼的な法則が何なのか、いまだにわかっていない」(茂木健一郎、意識とは何か、28頁、筑摩書房、2003年)
クオリアが脳の神経活動からいかにして生まれるかを説明することは、脳科学の最大の難問であるとみなされている」(同54頁)
「現在のコンピュー夕は、生き生きしたクオリアを感じることができない。それどころか、どんな計算をすればコンピュータのクオリアを作り出せるのか、いや、もしかして、クオリアはコンピュー夕には決して作りだせないものなのかということすら、全くわかっていないと、言われている。確かに、クオリアは言葉ですら言い尽くせない。言葉で言い尽くせないことをコンピュータの言語でも書き表せる気がしない」(前野隆司、脳はなぜ心を作ったのか、45-46頁、筑摩書房、2010年)
コンピュータの機能をはるかに超えた脳機能を与えてくださったのは、神しかいません。クオリアそのものが神の存在を物語っているのです。