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聖書が語る健康メッセージ 医学博士・米国公衆衛生学博士 水上 治
永遠を想う
永遠を想う
私自身高校生の頃(いわゆる人生問題に悩んでいました。自分はどう生きるべきか、地球はいつできてこれからどうなるのだろう、世界はどうなるのだろう、死とは何か、永遠とは何か、等々、考えに考えました。様々な哲学書を読みふけりましたが、満足のいく回答は見つからず、悶々とする日々でした。そこで聖書を通して神に出会いました。神に頼ってのみ、私の人生の謎は解けたのです。
500年前、パスカルはこう言いました。
「人間はあきらかに考えるためにつくられている。それはかれの品位のすべてであり、かれの価値のすべてである。」(バンセ、146)。
「この無限な空間の永遠の沈黙が、わたしをおびやかす。」(パンセ、206)。
チンバンジーでも永遠を思考することは出来ません。人間のみが己の人生を考え永遠を想うという高尚な思考が出来ます。
もしすべてが偶然によって発生し進化したのなら、人間の頭脳も偶然の産物です。脳も偶然の産物、脳の働きも偶然、論理を決定する思考パターンも偶然であり、論理も偶然であり、たまたまの進化の産物に過ぎません。それが理に適っているという保障は全くなく、すべては混沌です。非精神が精神を生むことはありません。人間よりも更に優れた脳を持つ創造神が人間を創ったのです。創造主なる神が、我々人間に永遠を想う思いを抱くように造られたとしか考えられません。
コヘレトの言葉3:11に
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」
とあります。人間のみに、永遠を思う想いがあるのです。
我々に永遠を想う能力を与えて下さったのは神です。