牧師便り

新しい心  :  池増 牧師

あけましておめでとうございます。

今日は日本中で、いや世界中で「新年おめでとうございます」

“A Happy New Year!”という言葉が交わされています。古い年が過ぎ去り、新しい年を迎えて、新たな一歩を踏み出そうとしておられる皆様方にとって幸せ多き一年となるようにお祈りいたします。

さて、新しい歩みとはいったい何なのでしょうか。イスラエルの賢者・ソロモン王は自分の体験からこのような言葉を残しています。

 

先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。
『見よ、これは新しいものだ』と言われるものがあるか、
それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。

旧約聖書・伝道の書1章9~10節(口語訳)

一見虚無的ともとれる言葉ですが、本質をついてはいないでしょうか。カレンダーの上では、2005年は終わり、2006年がスタートしました。しかし、時代は繰り返すといわれるように昨年起こったような自然災害、テロや内戦、残忍な犯罪など、願わない出来事が起こるでしょう。もちろん喜びと希望をもたらすすばらしい出来事もあるでしょう。でもこれらすべては全く新しいことではないというのです。

周囲の社会から自分自身の生活に目を向けてみましょう。年頭に当って新たな目標に意気込んでみても、誘惑に負け、あせり、迷ってしまう。愛のない言葉、不平不満の言葉がついつい出てしまう。それは旧態依然とした私たちの心の内側そのものにあるのではないでしょうか。ソロモンが言わんとしたのはこの点ではないでしょうか。新しい計画や意気込みよりさきに、新しい自分、新しい心が必要です。

イエス様のもとにニコデモというユダヤの立派な指導者が相談に来たことがありました。キリストは彼に「だれでも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と言われました。どんなに教養や学問を身につけ、高徳の人であっても、神様の力によって新しくされなければならない。新しい心を頂く必要があると言われたのです。神様の愛によって昨日までの自分を赦していただき、新しい人、新しい心で日々生きるとき、新しい歩みが始まるのではないでしょうか。