牧師便り

蝋梅  :  池増 牧師

まだ周囲の木々が冬の装いの中、なんとも言えない甘い香りが漂ってきます。なんの香りだろう?  私は周りを見渡しました。読書をしていたベンチから程遠くないところに、放物線を描く幹から伸びた枝々に黄色いつぼみや花をつけた木々があります。早速近づいてみると甘い香りと共に可憐な花が目に入ってきました。蝋梅です。昨年春、小金井公園を散歩中に初老の男性から写真を頂き、ここにあることは聞いてはいましたが、初めてこの目と鼻で味わってとても幸せな気持ちになりました。花のない季節だけに心を和ませ、春の到来に胸を膨らませてくれます。

蝋細工のように艶のある可憐な花びらもさることながら、できればこの甘い香りのなかにいつまでも身を置いておきたいと思うほどです。

「蝋梅」という名の由来は、旧暦の12月(蝋月)から咲くからだとか、花が蝋細工に似ているからだとか言われますが、梅とは関係のないロウバイ科の植物らしいとのこと。

花にはそれぞれ形と色と香りがあります。絵画や造花も形と色はまねることができますが、香りだけはできません。自然の花の香りは化学では作り出せません。昆虫は花の色や形にも誘われますが、かぐわしい香りは数キロメートル先からでも嗅ぎ分けて来るそうです。そんなことを考えているうちに聖書の言葉が心に浮かんできました。

 

しかるに、神は感謝すべきかな。
・・・わたしたちは、神に対するキリストのかおりである。
・・・いのちからいのちに至らせるかおりである。

コリント人への第二の手紙2章14~16節(口語訳)

私たちは意識していないかもしれませんが、それぞれ個性的な香りをまわりに放っているのです。はたして私はどんな香りを周囲に放っているのだろう?安らぎと希望を与える愛の香りか、それとも・・・?と考えさせられました。形や色だけでなく、いのちの香りを放たせていただきたいものです。