牧師便り

聖書のラブソング  :  山口 豊 牧師

最近は、世代を超えて聞かれる歌などはすくなくなりました。私が小学校の頃の昭和60年代は、子どもから大人までが知っている曲がありました。しかし、そのすぺてが子どもにとって良い内容であったとは限りません。大人の恋愛を歌ったものなどは、意味がわからず歌っていましたが、いま思い返してみると親の前でこんな歌は歌えないなというようなものもありました。今でも世に出ている歌はラブソングが中心です。そんな中、聖畫にもラプソングがあるというと驚かれるのではないでしょうか。それは旧約聖書の雅歌(がか)という書物です。

雅歌には恋人を歌った歯の浮くようなセリフがたくさんあります。

 

恋人よ、あなたは美しい。
あなたは美しく、その目は鳩のよう。

旧約聖書・雅歌1:15(新共同訳)

 

恋しいあの人はわたしのもの
わたしはあの人のもの
ゆりの中で群れを飼っている人のもの。

旧約聖書・雅歌2:16(新共同訳)

これを声に出して読むのはかなり勇気がいるのではないでしょうか。この様に愛する人に向けての歌で構成されているのが雅歌です。英語の言い方では、「歌の中の歌」と呼ばれています。恋しい人のことを思うと誰でも詩人になり、歌を歌い出すのはどこの国でも同じようです。

そして、この雅歌には、神という単語が出てきません。そのため聖書としてこの書物を採用してもいいのかという議論も過去にはなされてきました。あまりにも男女の愛について書かれているために、ユダヤ教では、30才になるまでは読むことを禁じられていたこともあったそうです。

では、この雅歌がなぜ聖書に残り、今の時代にあって私たちに何を教えようとしているのでしょうか。私たちは、この恥ずかしくなるような甘い言葉で表現された愛の関係が、神様と教会の関係を表していると考えています。それは、雅歌で表現されている愛は、男女の間だけでなくて神様とわたしたちとの間にもあると感じることができるからです。

明治時代、LOVEの訳語として、愛を使うようになりましたが、今愛を考えるときに、様々な愛を感じることがあります。人間愛、家族愛、友愛、そして異性を愛する愛。雅歌には男女間の愛が書いてありますが、それを読むときにそれよりも大きな愛に心が向きます。聖畫が教える愛を考える一助として雅歌をお読みください。