牧師便り

小さな親切、大きな恵み  :  久保 司 牧師
 

ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。

新約聖書・ヨハネによる福音書6章9節(新共同訳)

皆さんはGWをどうお過ごしになられたでしょうか? 私はこの機会に引越しで山積みされてまだ手つかずのダンボールの山を片付けていました。その合間、帰省していた娘を千葉まで車で送って行ったのですが、アクアラインはアウトレットモールと潮干狩りに向かう人々で大渋滞でした。そんな中、ふと熊本地震で多くの人々が悲しみ、悩み、苦しみの最中にあることを考えていました。この大きなギャップの中でどれだけの人々が熊本に心を向けているのだろうか? 私たちはいったいどんなことができるのだろうかと・・・

聖書に紹介されている有名な5,000人の給食の奇跡が起こるために、一人の少年の思いが、イエス・キリストの心を動かしました。弟子たちは目の前にいる大勢の人々に対してなすすべもありませんでした。そんな時、何か役に立つことは出来ないだろうかと、少年は自分の持つ全ての食物を差し出そうとします。もちろんわずかな食物はそこにいる大勢の人々には何の役にも立たないようなものだったかもしれません。しかし、イエス様はそんな少年の気持ちをくみ取って下さり、いく倍どころか凄まじいほどの奇跡を起こして下さいました。男性だけで5,000人ですから女性や子どもたちを合わせるとそこにはその数倍の人々がお腹をすかせていたわけです。そこにいる全ての人々のお腹を満たし、残ったパンくずは12のかごに集められました(ヨハネによる福音書6:1~14より)
私たちはとかく目の前の出来事に自分の力や知恵を用いることをまず考えてしまいます。これは決して悪いことではありませんが忘れてはならないことがあります。それはこの世の全ては神が守り導いて下さっているということです。

イエス様の弟子たちはイエス様が側におられるにもかかわらず、自分たちの知恵や力でどうにかしなければと考えました。イエス様に頼ることをしなかったのです。少年の当たり前のような行動は、彼らにとって実物教訓となりました。イエス様は、弟子たちが役に立つはず無いと、小さな奉仕の気持ちを退けたことに対して、その小さな心からの奉仕の気持ちを受け入れ、それが神の祝福を表すのだということを大勢の目の前で示されました。そして一人の少年の小さな奉仕の優しい心遣いに対して、多くの人々の必要を有り余るほどに満たす奇跡をイエス様がなしてくださいました。

あなたはこの世にあって小さな存在かもしれない。しかし神はその小さな存在の、心からの小さな気持ちを必要として下さっています。そこに感謝があふれてきますね。