久保 司 牧師

希望は失望に終わらない3  :  久保 司 牧師
 

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

新約聖書・ローマの信徒への手紙5章3〜4節(新共同訳)

21歳の頃、私は群馬県勢多郡宮城村(現・前橋市柏倉町)に住んでいました。当時、地元新聞に星野富弘さんの記事が出ていました。内容はよく覚えていないのですが、その時、この人に会ってみたいと思い、入院先の群馬大学病院に伺いました。まだ彼がクリスチャンになる前で(翌年洗礼を受ける)、口に筆をくわえて詩や絵を描き始めたばかりの頃でした。その時は微熱が続いていたようで具合もよくありませんでしたのでお顔を拝見し短くお祈りをさせていただき失礼しました。

皆さんもよくご存じのとおり、星野さんは群馬大学を卒業後、高崎市の倉賀野中学校で体育教師となりました。教師になって二ヶ月後の晴れ渡った日の午後、クラブ活動の模範演技で前方宙返りをした時、頭から床に激突、頸椎を損傷してしまいました。生死の境をさまよい、状態が安定してからも首から下が全く動かすことができなくなっていました。四肢完全麻痺、胸骨上縁以下の知覚障害の身となったのでした。

・母の愛

病床にある星野さんに寄り添い看病し励まし続けたのが彼のお母さんでした。彼女は、時にイライラをぶつけ八つ当たりする彼を受け止め続けました。その愛に触れたとき彼の心はふるえたのでした。こう語っています「私が、時には腹を立てて怒ったり、口をきかなくなったりするときも、ズーッと変わらないで看病し続けてくれるんですね。そういう姿を見ていて、これは『俺の母ちゃん』『たった一人の母 ちゃんだ』と。そういう気持を持ちました。」
「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が本当に来るような気がした」(「ぺんぺん草」より)

・神様との出会い

星野さんがクリスチャンになったのは、大学時代の先輩から貸りた三浦綾子氏の「塩狩峠」を読んで感動したことがきっかけでした。自分の身を犠牲にして人を救うという内容に凄く惹かれ、キリスト教に興味を持ったそうです。その後、牧師の訪問を受け聖書を勧められ開いてくれた場所を読んだとき多くの気づきが与えられたと言うことです(冒頭の聖句)。そして病室で洗礼を受けたのでした。

・詩と絵を通して

星野さんが最初に書けたのは、たった一つの点だけでした。そして、字を練習しました。やがてお見舞いの花を描きはじめたのですが安らぎは得られませんでした。しかし、クリスチャンになって全てのものを創られた神の存在を信じてから気持ちが変わったのです。

その後、星野さんはこう思いました。「『すべてのものは神様が作ってくれた』というふうに思ってきたら、『色も形も調和を持っているんじゃないかなあ』と思ったんですね。そういうふうに考えて花を見たらほんとにそうなんですね。ちょうど花の形といい、ちょうど良い茎にあった大きさで、そういうものを素直に写していれば、いい絵が描けるんじゃないかなあと思って、『じゃ、今度は〝花を先生だ〟と思って、絵を描いてみよう』と思って絵を描き始めました。」

今日、世界中の多くの人々が星野富弘さんの詩と絵、そして生き方を通し励ましと希望を与えられています。

神様を信じ、希望を与えられた人はやっぱり「スーパーマン」なんですね。