しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
「アドベント」とはラテン語のAdventus(来臨)の意味で、主にクリスマスシーズンによく耳にします。私たちの教会の名称は「セブンスデー・アドベンチスト」(「第7日安息日を守り、キリストの再臨を待つ者」という意味)と言いますが、イエス・キリストの「再臨」(セカンドアドベント)という意味で、なじみが深いです。ちなみにイエス・キリストの「初臨」(ファーストアドベント)を「クリスマス」と呼んでいますが、「クリスマス」とはthe Mass of Christ(キリストの祭り)という意味です。
12月に入りますと街はクリスマスカラーで彩られてまいります。街を歩く多くの人々の中に、はたしてクリスマスの本当の意味を理解している人はどれだけいるのでしょうか。
「クリスマス」それは、イエス・キリストが私たちのためにこの世に来られたことを感謝する日。およそ2000年前にこの世に生まれたキリストは、その生涯を通して、私たちに正しく生きる為の道筋を示して下さいました。聖書はそのキリストの歩みを証ししています。
- 人々の病を癒されたキリスト
- 心の内の苦しみを取り去られたキリスト
- 障害をその心身に持つ人々を治されたキリスト
- 心の罪を清めて下さるキリスト
- 常に優しく励まして下さるキリスト
- 愛と喜び、そして平和をこの世に残して下さったキリスト
- 感謝と希望をもたらして下さったキリスト
しかし、そのイエス・キリストは私たちの罪の責任を、全てご自身の身に負われて、十字架にて身代わりの死を遂げられました。
聖書に「罪が支払う報酬は死です」(ローマ6:23)とあります。つまり罪を犯す者は全て死が定められています。一度も罪を犯さず一生を送る人皆無です。しかし、愛の源である神様は、その現実を良しとはされません。どうにかして、その死の運命から救い出したいと願われます。死の病に苦しむわが子を目の前に、どうにかして癒したい。この子のために身代わりになりたいと思う親の想いのごとく、神はその深い愛により私たちのために喜んで身代わりの死を受けて下さいました。それがイエス・キリストの十字架です。
私たちは、今、この世の中で、絶えず不安と戦っています。困難で希望がないように思われる私たちに、希望をもたらせて下さるのがイエス・キリストです。