牧師便り

終末を思いつつ  :  久保 司 牧師

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな。わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」

イザヤ41:10

近年最も印象強く、最も心痛めた出来事は、2011年3月11日に起こった東日本大震災による津波の脅威でしょう。関東から東北地区沿岸を襲った大津波は、まさに想定外の思いもよらぬ事でした。

死者19,533名、行方不明者2,585名、負傷者6,230名(2017年3月8日現在、消防庁災害対策本部)、多くの農地が流失や冠水の被害、広い範囲で液状化現象が発生しました。さらに福島第一原子力発電所の事故が伴い、6年経った現在においても困難な状況の中にいる人がたくさんいます。

2011年5月21日〜29日、私はADRA Japan(途上国や災害被災地において開発支援や緊急支援活動を行う国際NGO)の災害復興支援のボランティアに参加させていただきました。その時、目を覆いたくなるような被災地の現状を目の当たりにし呆然と立ちすくんでしまいました。これが人類の罪による悲しみの現実、まさに終末のしるしなのだろうか、そんな思いで胸が痛くなりました。

現在、私たちの住む地球は様々な問題を抱えているように思います。環境問題、道徳の低下、犯罪の増加と低年齢化、健康問題、人口増加、飢餓や干ばつ、自然災害、戦争など、数え上げればきりがないほどの問題があります。子どもたちも、将来に対する夢や希望を失いかけており、これからの世界は、はたして存在し続ける事が出来るのだろうかと不安が山積みです。

誰もが皆、この世の終わりを心のどこかに意識しながら、あえて思い出さないようにして毎日の営みを続けているようにも見えないでしょうか。

実は、これらの事柄はおよそ2000年前からすでに、イエス・キリストによって預言されていたのです。興味ある方は新約聖書のマタイによる福音書24章をご覧ください。

しかし、聖書が語る「終末論」は、世の中で語られている「終末の不安」とはずいぶん違っています。むしろ、聖書は人類を苦しめてきた「罪の歴史の終末」という意味で、私たちに希望を与え、さらに、そこから新しい歴史が始まることを私たちに伝えています。

今、私たちが見ている事柄は、あくまでも終末のしるしです。そんな中、改めて希望的展望を抱きたいものです。良き備えの日々を送ってゆきましょう。

神様の豊かな愛と慈しみが皆様と共にありますように、心よりお祈りいたします。