牧師便り

神様に近づきましょう 2  :  久保 司 牧師
 

神に近づきなさい。
そうすれば、神は近づいてくださいます。

新約聖書・ヤコプの手紙4章8節(新共同訳)

クリスマスのシーズンになりました。

世界中でイエス・キリストの誕生を祝う思いがあふれるこの時期に、ぜひ神様に近づく機会が与えられますように願いつつお祈りいたします。

前回は、大自然を通して神様の存在を知ることができると書かせていただきました。今回は私たちの心の中に神様の存在についての記録が刻まれていることに目を向けたいと思います。

良心を与えられた神

私たちの心の中の良心が叫ぶときにも神様の存在を実感できます。

人間は、道徳的問題で善と悪を判断するとき、自分の良心に照らして判断をしています。そして、何か悪いことをしたとき、その良心に痛みを感じます。これが良心の呵責というものです。どうやらこの良心が善悪の基準となっているようです。しかし、良心そのものは弱く、力がありませんが、善悪の判断を与えることができます。

不完全である私たち人間の心の中にどうしてこのような基準があるのでしょうか?

それは神様の義を反映するために神様が与えてくださったからなのです。神様が与えてくれた人間の良心は最高の律法者として私たちのうちに与えられ、義なる神様の存在を証しているのです。

私たちに与えられたこの良心に向かって神様は働きかけてくださって、さらに力づけ勇気を与えてくださって、正しい人の道をまっすぐ歩くことができるように導いてくださっています。

真の必要に心を向けるとき

また、私たちは幸福を求めるとき神様の存在を実感できます。永遠の本当の幸福とは何かをご存じで、それを与えられるのは神様だけです。

人間は誰でも幸福な生活を求めています。お金や地位や名誉などは確かに幸福をもたらす手段であるかも知れませんが、それらが本当の幸福を保証するものではないことは皆さんよくご存じのことだと思います。

ある有名人が「名声とは人の目の奴隷となることだ」と言いました。お金や物があっても何か満ち足りない物を感じています。それはなぜでしょうか?

それは、人間の魂が永遠の安心と幸福感を求めているからなのです。

いつかは死ななければならない有限な人間が、無限である永遠を思う心を持っているのは考えてみると不思議なことです。

長い人類の歴史の中でとっくに風化してもおかしくない「永遠に生きる」という事柄が今もなお人間の幸福の条件であるのはどうしてなのでしょう?

それは人間の魂が神様の水遠性を反映しているからです。

 

神はご自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。

旧約聖書・創世記1章17節(新共同訳)

とあります。幸福を求める心が、まことの永遠の幸福を与える、唯一のお方として神様の存在を証しているのです。