牧師便り

前進  :  久保 司 牧師
 

兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

新約聖書・フィリピの信徒への手紙3章13、14節(新共同訳)

春は入学、進級、就職、また新たな目標を目指して前進するためのきっかけをもつことができる時です。きっと皆さんは新年度に向けて色々な計画を立てたり、新たな決心を胸に抱いておられると思います。

神様がもし「赦し」を実現して下さっていなければ(キリストの十字架がなかったら)、私たちの誰もが将来に対する希望を持つことはできなかったでしょう。しかも「後ろのものを忘れ」て前に向かうなどという積極的な生き方を得ることもできなかったと思います。

「後ろのものを忘れ」とは、キリストの十字架によるあがないによって与えられた「赦し」無くしては考えられないことです。神様の「許し」は完全であって、私たちのものとは全然別のもののようです。私たちは友達を許すと言いながら、その友達が同じような間違いを犯したとき、以前のことを思い出しそれを愚痴ってしまうことがよくあります。そしてより厳しく友達を裁こうとします。しかし神様は、一度「赦す」とおっしゃったら、本当に全てを忘れて下さり二度と思い出されないのです。あたかも最初からそんなことが無かったかのように私たちと関係を新たにして下さるのです。

また「後ろのものを忘れ」るとは、決して過去の全てを無くすことでもありません。これは神様が赦して下さったことをいつまでもくよくよ考えることをしなくてもよいと言うことであり、「目標を目指して」とあるように、過去に持ち続けた良きことをさらに推進していくことを示しています。

「赦される」ためには悔い改めが絶対条件です。それは私たちの罪に対する姿勢です。すなわち、自らの罪を認め、罪人であることを受け入れ、罪に対する悲しみを覚え、しかもその罪に対して自分が無力であることに気付く必要があります。そうすれば、おのずと救い主の必要を深く感じ入ることになるでしょう。その時、私たちの目の前にキリストがおられます。なんと幸いなことでしょう。これは、まさしく新しい旅立ちに向かう者にとっての備えの経験です。キリストと共に生きる人生を選んだ私たちは、常に「御言葉」を心の糧としながら「目標を目指してひたすら走ること」ができます。キリストによる希望に満ちた歩みが進められる事を心から願っています。