牧師便り

備えして待て  :  久保 司 牧師

「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

マタイによる福音書25章13節

終末に望む積極的な思いを、宗教改革者マルティン・ルターは、「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、私は今日、林檎の苗を植える」という言葉に表しました。

この言葉には、私たちがなすところの日々の備えの大切さが語られています。与えられている今というこの時が、私たち自身にとっての良きチャンスです。

ルターは自らの生活、そして過ごす一日一日が、自分にとってかけがえのない時であることを知っていました。そして常に彼の生活そのものがイエス・キリストの再臨への備えでありました。

これは、常にキリストの再臨を喜びの内に待ち望む気持ちを持ち、日々の生活の中で神様と共に悔いのないように歩み、いつキリストが来られてもお迎えできるように備えして待っているという気持ちが表されています。

キリストをお迎えする準備と経験は決して形ばかりを整えようとすることでもなければ、感情的な興奮でもありません。実に、日々の生活の中にそれはあり、私たちが営む生活そのものがキリスト再臨の日々の備えでありたいと思います。

つまり、祈る事、礼拝を献げる事、愛する事、奉仕する事等が、特別ではなく当然の事として生活の一部になっているような感じだと思います。ですから、褒められなくてもいいし、特別に認められなくてもいいのです。当たり前の事だから。

私たちが心に留めておきたいのは、イエス・キリストに似た者となりたいという思いではないでしょうか。その品性に触れたとき(聖書を通して知ったとき)、私たちは救い主であり、模範であり、理想である存在にあこがれを抱くことができます。求めれば与えられます。それは聖霊なる神様がいつも用意して下さっているのです。次の聖書の言葉には希望が込められています。

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」

ガラテヤの信徒への手紙5章22節~23節

ですから私たちの生活にこの聖書の言葉を実現していきましょう。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

テサロニケの信徒への手紙Ⅱ5章16節~18節

キリストが再びこの地上に来られ、私たちを迎えてくださる「再臨」が、私にとって幸いである事を願い祈りましょう。

神様を信じ、神様の愛に望みを抱く私たちにとって、イエス・キリストの再臨は幸いな時、喜びの日です。