牧師便り

イエス・キリストの生涯2 ~バプテスマを受けるまで~  :  久保 司 牧師

イエス・キリストは何故、人として、しかも弱く小さな赤ん坊として、この世にお生まれになったのでしょう?
 第一に私たちの犯す罪のためヽ私たちの代わりに、私たちの罪ゆえのを受けるためであり、私たちを罪と死から救うためでありました。
 第二に、私たちがいかに生きるベきなのか模範を示すためでした。
第三に、私たちの可能性を全宇宙に証明する為でした。罪人は、悔い改める事により正しく生きてゆける事と示すために、私たちと同じ罪の影響を受けて弱くなった心と身体をもたれました。
 そうなんです、全て私たちの為なのです。

「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」

新約聖書ルカによる福音書2章40節

「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛された。」

新約聖書ルカによる福音書2章52節

貧しい大工の息子として、キリストは生活なさり、汗を流し、働き、学ばれました。
 そして、キリストが生れて30年たったある日、バプテスマのヨハネと呼ばれる人が現れ、罪を悔い改める印としてヨルダン川で人々にバプテスマ(洗礼)を施し、神の教えを説いていました。

「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。
彼から洗礼を受けるためである。
ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。
『わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、
あなたが、わたしのところへ来られたのですか。
』しかし、イエスはお答えになった。
『今は、止めないでほしい。
正しいことをすべて行うは、我々にふさわしいことです。』
そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。」

新約聖書マタイによる福音書3章13~15節

イエス・キリストは常に私たちの模範を示しながらその生涯を送られていきました。
 イエス・キリストがバプテスマを受けられると天使たちはその上を舞いかけり、精霊なる神は鳩の形をなして降り、イエス・キリス卜の上にとどまりました。
 人々が非常に驚いてイエス・キリストに目を注いでいると、「これは私の愛する子、わたしの心にかなうものである」という父なる神の声が天から聞こえてきました。
 実は、罪を犯していないイエス・キリス卜があえてバプテスマを受けられたのに、罪人である私たちがバプテスマを受けないことが不自然な事なのかもしれません。