牧師便り

イエス・キリストの生涯3 ~公生涯を通しての模範~  :  久保 司 牧師
 

『あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。』

新約聖書・エフェソの信徒への手紙5章1節(新共同訳)

明けましておめでとうございます。

新しい年を迎えて目標を持つことは大変有意義なことです。私たちはできるだけ確かで高い目標を目指すこ とが必要です 。

イエス・キリストは私たちの模範として人性をとられ、この世で生きて下さいました。

イエスはパプテスマの後にサタンに試みられるため荒野に導かれ、四十日間の断食の最終日にサタンの誘惑を打ち破り、地上での最後の働き「公生涯」に入られました。

イエスの生涯は、思いやりと、真の同情と愛の言葉に満ちていました。野で山で、町で、神殿の中で、あらゆる場所でイエスは祝福の言葉を語られ、父なる神を、天国を、そして救いを人々に教え示されました。

どんな者にも分け隔てなく、イエスは喜んで人々に会い、交わりを求められました。悩むものに平安を、病の者には癒しを、罪ある者にはその悔い改めに従って、赦しを与えられ、奇跡を通して神の力と愛とを証しなさいました。貧しい者には惜しみなく分け与え、神の深き愛をもって人類を今もなお愛し続けられました。

しかし、イエスの愛の奉仕にもかかわらず、人の心は罪によって弱り、その救いを受け入れられなくなってしまっているのをご覧になり、嘆き悲しまれるのです。

イエスは祈りのお方でした。

朝、まだ暗い内に起きられ、一人寂しい場所に行き、父なる神との一対一のの交わりを祈りを通してもたれました。

祈りとは、神様に語る唯一の方法で、私たちの心を育て、強め、支えるための営みでもあります。祈りとは心を神に打ち明けることです。自分の事を神様に知らせる必要があるのではなく、神様を受け入れるために必要な行為なのです。つまり、祈りは神様を私たちの所に呼びおろすのではなく、私たちを神様のもとへ引き上げるものなのです。

イエスは仕えるお方でした。

私たちに奉仕の喜びをお示しになりました。奉仕は人間にとって最高で崇高な喜びと満足を与えるものです。

イエス・キリストは最後の最後まで人々に対する奉仕をなさってゆきました。しかも、この世の最も小さい者の一人一人のために仕えてゆき、深い神様の愛と恵みを示され、弟子たちをはじめとする、全ての人々の模範となられたのです