そのとき、イエスは言われた。
『父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです。』
古今東西、「裏切り」ほど心を傷つけるものは無いと言われています。
十字架にお架かりになる前に、愛する弟子たちと共に最後の晩餐をしながら、イエス・キリストは最後の最後まで人類の救いについて語り続けられます。
しかし、そんな中、イエスは愛する弟子の一人が自分を裏切ることをご存じでした。
十二弟子の一人、イスカリオテのユダは銀貨30枚でイエスを裏切りました。これは、当時の 奴隷の値段でもありました。
最後の晩餐の後、ゲッセマネと呼ばれる場所で、イエスは祈っておられました。
神の御子イエス・キリストは苦悶の内に祈られます。大粒の血の汗がイエスの顔からしたたり落ちました。苦悩の内に打ちひしがれるイエスは、苦悩の内に三度祈られました。
その時、武装した人々を引き連れた、イスカリオテのユダが現れます。彼はいつものようにイエスに近づき、挨拶をしました。武装した人々は、たちまちイエスを取り囲みます。イエスはじっと黙ったまま、縛られ、連行されてゆきました。
日頃から正しく生きる模範を示し、多くの人々を愛し教え、また多くの人々から慕われるイエスにたいして、妬み、憎んでいた祭司や律法学者たちは、法廷の場でイエスをどうにかして有罪にし、殺そうと企てます。
法廷において、ローマ総督ピラトは、群衆を前にしてイエスの裁判を行いました。ところが、彼はイエスに何の罪も認めることができませんでした。
しかし、イエスを妬み、憎む者たちに扇動され、そこに集まった群衆は「イエスを十字架につけよ!」と激しくピラトに迫りました。その時、イエスは心穏やかに、平安の内にじっと黙して立っていました。イエスを妬み、憎む者たちは、そんなキリストにますます憎しみを向けて、声高く「十字架につけよ!」と狂気の叫びを上げ続けました。
人の心はなんと弱く空しいのでしょうか。悪意をもって権力を行使する者に対して正義を貫こうとする意志も無力化されてしまいがちです。「妬み」や「誹り」は諸悪の根源です。罪はここから起こると言っても過言ではありません。
イエスを慕い愛する者の心さえも奪う悪に、私たちはどうやって立ち向かって行けばよいのでしょうか。(次号に続く)