久保 司 牧師

祈りは魂の呼吸  :  久保 司 牧師
 

絶えず祈りなさい。

新約聖書テサロニケの信徒への手紙1 5章17節(新共同訳)

「祈り」は信仰者にとってとても大切な行為です。
それは、天地万物の創造主なる神様とのコミュニケーションだからです。
私たち同士の人間関係においてもコミュニケーションはとても大切な行為であるように、「祈る」事は神様と人類にとっても重要なのです。

エレン・ホワイトは「祈りは魂の呼吸である。霊的力の秘訣である。その代わりとなるいかなる恵みの手段もなく、魂の健康を保つ他のいかなる方法もないのである。」と語ります。

私たちの呼吸が止まってしまったら、酸素は脳に送られず、やがて細胞は死んでしまいます。完全に呼吸が止まってしまい4分経過しますと50%は助からないと言われています。二人に一人です。5分経ちますと75%、8分経つと私たちの大脳は復活が不可能になってしまいます。人間は、まったく弱き存在なんですね。

では、魂の呼吸である祈りがストップしてしまうとどうなるのでしょうか?

神様からの必要な力が与えられません。ある程度は、この世における道徳や倫理などによって守られるかもしれません。しかし、人の力には限界があります。それは意志の力も同様です。確実に、生命の源である神から遠ざかってゆきます。
すると心には、純粋で真実な、平安、喜び、感動などが徐々に失われてゆきます。そして、息苦しいストレスが忍び込んでくるのです。神様からの平安がなくなった者は、その心ばかりでなく肉体をも危険にさらすのです。
いかがでしょう? 私たちは「祈り」をおろそかにしてはいないでしょうか?

祈りには神様の力が備わるのです。「祈り」は、全ての出発点であります。あなたが、「祈り」の体験者であってほしいと、神様は願われているのです。
エレン・ホワイトは「祈りは、全能の神の無限の資財がたくわえてある天の倉を開く、信仰の手に握られた鍵であります。」と語っています。
「祈り」は神様との素晴らしいコミュニケーションであり、恵みと力が備えられている事を心にお覚え下さい。

 

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。

新約聖書・ヨハネの手紙Ⅲ 1章2節(新共同訳)