久保 司 牧師

クリスマスツリー  :  久保 司 牧師

クリスマスは、心と心が愛によって触れ合うとき、お互いを思いやるときです。
しかし、人生という旅路には様々な困難があり、それを誰かに代わってもらうことはできないし、自分が誰かの代わりになることもできません。
自分の人生は自分で歩んでゆかなければならないのです。だからと言って、他人の事はおかまいなく、自分の事だけを考えれば良いという訳でもありません。それは無味乾燥で寒々とした状況しか生み出せないからです。
ではどうすれば良いのか、それは支え合ってゆく事だと思います。

クリスマスイブの前日、街角でクリスマスツリー用の木が売られていました。夕方になり客足も途絶え、店主があと30分くらいで店じまいをしようと思っていた時、貧しそうな若い夫婦がやってきました。2ダースほど残っていたでしょうか、二人は売れ残ったツリーの木を一本一本慎重に眺め、まともな部類の木を手に取りました。しかし、値段を聞くと元に戻し、残念そうに帰って行きました。
後片付けをしていると、再びあの若い夫婦がやってきました。まともそうな木を買うことにしたのかなと思ったら、一番惨めな木の所に歩いて行って値段を聞きました。それは片方の枝振りは申し分なかったのですが、反対側の枝は半分以上無くなっていました。
店主は「1本200円でいいよ。でもどんなに飾り付けをしても見栄えは良くならないよ。」と忠告しました。その夫婦はさらにもう1本ヽ同じような木を選んだのでサービスしてやり、2本300円で喜んで家に帰って行きました。
クリスマスイブの夜、店主はあの夫婦の住むアパートの前を通りました。ふと窓ごしに部屋を見ると、今まで見た事がないほど立派なクリスマスツリーが飾られていたので、大変驚き二人の部屋をノックしました。
彼らは、あの惨めな2本の木の幹を、枝振りの悪い方が内側になるようにしてくっつけ、それを針金で固定していました。

彼らが買わなければ、まちがいなく捨てられてしまったであろう2本のもみの木。欠点があっても、見栄えが悪くても、両方の良いところを合わせれば素晴らしいものになるのですね。人は皆、不完全で頼りないもの。支え合ってゆく事が大事なのです。
しかし人間同士が支え合うにも限界がある事があります。どうすればいいのでしょう?
人となって地上に来られた救い主の事を忘れてはいけません。イエス・キリストは自ら、罪の影響を受けてしまった人間と同じ有様になられました。そして、私たちを招き「私につながっていなさい」(ヨハネによる福音書15章4節)とおっしゃいました。私たちがイエス・キリストとつながっている事によって、神様は私たちを義なる者、清い者として認め、受け入れ、祝福をしてくださるのです。