久保 司 牧師

年の始めの例(ためし)とて  :  久保 司 牧師

「と~しのは~じめのためしとて♪」(1年の初めの恒例行事という意味)

暦が12月31日から1月1日になった途端「あけましておめでとうございます」という挨拶が交わされて、すべてが新しくなったとなります。

賀正

こうした「時」の区切りのおかげで、生活にも区切りをつけ、大掃除して身の回りの整理整頓をしたり、心の切りかえをするのでしょう。そういうことからでも「お正月」を私たちは大切な「年の始め」にしたいものです。

聖書の中に「これを年の正月としなさい」(旧約聖書出エジブト12章2節)と、神様がイスラエルの民に言われたという記事があります。これが告げられた時季は、太陽暦から言いますと4月頃だったようです。

この出来事はイスラエルの歴史にとって、劇的な転機の時でした。それは400年以上もの年月をエジブトの奴隷であったイスラエル民族が、預言者モーセを通して働かれた神様の導きによって「解放」と「脱出」が実現しました。イスラエルの民にとっては「救済」であり「新生」するという意味で、「これを年の正月としなさい」と言われた神様の言葉は重要だったわけです。

以来、イスラエルの民は民事暦と宗教暦との二つの暦を用いるようになり、彼らは、お正月から十日間、神様の前に自分の生活と振る舞い、思いまでも吟味しました。そして、自らの罪に気付いたら、神様の赦しを求め、心からの悔い改めをしていったのです。

現代の私たちは二つの暦を持つ必要はありませんが、あの時が私の人生にとって「お正月」だったという、そういう人生の転機が必要なのではないでしょうか。そうでなければ、暦の上で年が変わっても、実質的には何も変わっていかないからです。

 

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

新共同訳:コリントの信徒への手紙二 5章17節

心機一転、新しい年を迎えるにあたり自らを顧み、スタートしたいと思います。

新年のあいさつ