島田 隼人 牧師

自分にがっかり  :  島田 隼人 牧師

皆さんは、「自分にがっかり」したことはありますか?弱さを感じ、情けなくなり、自分が嫌になる経験です。かなりのポジティブ人間でない限り、誰しも経験するのではないでしょうか。
では、自分にがっかりした時、皆さんはどのように、その状態を乗り越えていますでしょうか?中には、乗り越えることができずに苦しみ続けている人もいるかもしれません。

聖書の中にも、自分にがっかりして落ち込んだ男がいます。イエス・キリストの弟子である、ペトロという男です。彼は、何があってもイエスさまについて行きますと言いながらも、すぐにイエスさまを裏切ってしまった男です。裏切ってしまった後、ペトロは泣きました。あまりにも自分が情けなさすぎて、激しく泣いたのです。
しかし、ペトロの弱さをイエスさまはよくわかっていました。そして、そんなペトロを心から愛していたのです。ペトロの弱さをわかっていたイエスさまは、私たち一人ひとりの弱さをもわかってくださる方なのです。

新約聖書のヘブライ人への手紙4章15~16節には、次のように書かれています。

 

「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」

ヘブライ人への手紙4章15~16節(新共同訳)

ここで出てくる「大祭司」とはイエス・キリストのことです。イエスさまは、わかってくれるのです。弱くて、情けなくなる私たちの状態に同情してくださり、助けてくださるのです。
あのペトロに対しても、イエスさまは励ましと、立ち直るための言葉を残していました。
新約聖書ルカによる福音書22章32節には次のように書いてあります。

 

「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。 だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

新共同訳:ルカによる福音書22章32節

ペトロは立ち直りました。そして、多くの人を力づける伝道者となったのです。
自分にがっかりした経験を通して、ペトロは成長しました。そして、その成長を助けたのは、イエスさまの愛の言葉だったのです。