牧師便り

葡萄の木から学ぶ Part2 〜剪定〜  :  久保 司 牧師
 

実をむすぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

新約聖書・ヨハネによる福音書15章2節(新共同訳)

あなたの好きな果物はなんですか?
私は葡萄が大好きです!丸く紫色のみずみずしい葡萄は、口に含むとジューシーで、酸味と甘みと良い香りが広がっていきます。
葡萄の接ぎ木がなされ、無事にその「穂木」が「台木」につながり成長していくと、次に手入れが必要になってきます。この手入れの中で「剪定」は最も大切な作業だと言われています。
「剪定」は、葉は全て枯れ落ち、枝の生長の様子が見やすくなる真冬の時期(1月〜2月)に行います。普通の「剪定」は芽の上や枝の先端を切り落としていくのですが、葡萄の場合は芽のところで切る「犠牲芽剪定」という方法で行います。これは剪定によって枝が枯れることを防ぐためだそうです。

心の剪定

剪定は、その木の見た目を美しくするだけではなく、成長を促進し、病害虫の繁殖(サタンの誘惑と罪の影響)を予防することができます。そういう意味からも、「手入れ」は、最終的裁きに対する、私たちの心の「剪定」と言っても良いと思います(品性の成長と、サタンの誘惑と罪の影響からの防御)。
剪定には熟練の農夫の目と技とが必要なように、心の剪定には、神様の力と知恵、そして導き(神ご自身の介入)が必要です。私たちは、日毎に心を整える事を意識し、悔い改めること(新生の経験)は、それ故に必要なのです。

神の栄光が現れるために:

私たちは、イエス様に繋がり、常に悔い改めに至る気づきを与えていただきながら自分自身の心の成長をさせていただきます。
それは、決して自分の力や知恵、経験を積むことによって完成するのではありません。私たちは不完全な存在ですから、完全に完成させることは出来ないでしょう。それ故に神様は、足りないものをイエス・キリストの完全な品性と信仰を持って補って下さろうとするのです。信仰によってイエス・キリストに繋がっていることによって豊かな実を結ぶことができるのです。
この世は罪にあふれているので、善い台木を見つける事は困難です。間違った台木は穂木を腐らせてしまいます。私たちの救い主(台木)は、自ら私たち(穂木)を、どんな犠牲を払ってでも探し出して下さり、可能性がないように見られている者であっても、そのわずかな可能性を信じて下さり、水をやり、肥料を与え続けて、忍耐深く私たちに対する愛を示して下さるのです。