牧師便り

愛は謙遜である。  :  久保 司 牧師
 

愛は忍耐強い。
愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、
すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

新約聖書・コリントの信徒への手紙一 13章4節~7節(新共同訳)

私の故郷の高知県には、明治維新以降に活躍したクリスチャンがいます。有名人としては中浜万次郎(ジョン万次郎)、坂本直寛(坂本龍馬の甥、牧師)、そして片岡健吉(第七~十代衆議院議長)などがいますが、その中で片岡健吉氏についてお話ししたいと思います。
彼は1843年12月26日、土佐(今の高知県)の土佐藩上士の家に産まれ、明治時代の自由民権運動の偉大な政治家となりました。

彼が若い頃、政治犯として捕まり、投獄された経験がありました。その時、獄中で便所掃除を命じられたのです。武士である彼にとっては屈辱この上ない事でした。悔しくて悔しくてたまらない毎日を送っていました。ある時、彼が独房に入れられていた時、そこで聖書との出会いをしたのです。イエス。キリストが、「誰が一番偉いのか」と言い争っている弟子たちを前にして、一人一人の汚れた足を洗われる場所を読み(ヨハネによる福音書13章1節~11節)、大いに感動を受けました。

1885年(明治18年)5月15日、42歳の頃バプテスマ(洗礼)を受け、高知教会の長老を務めると共に、政治家としても成功し、衆議院議員となり、その内4期、議長を務めました。彼は生涯、一クリスチャンとして、人を自分よりすぐれた者とするキリストの教えを常としたのでした。

高知に帰省したときはいつも教会に出席し、毎週誰よりも早く教会に行き、教会員が履く草履の鼻緒を直し(当時のスリッパ、教会員が来始めると、その草履をそろえて出し、教会の下足番をしたのでした。衆議院議長のこうした下足番の姿を見て、多くの人がイエス・キリストを信じました。彼は謙遜によって、人をキリストヘと導く架け橋となったのでした。

謙遜とは、いつも接する全ての人々の中に良きものを見つけ、見習う心をもつ事です。また謙遜とは、自分以外の全ての人々の内に、あらゆる偉大さ、美徳、善良さ等を見いだすことです。そして謙遜とは、他者が私の好みに合おうが合うまいが、彼らが私を尊敬しようがしまいが、愛に支配されている心は、常に優しく、礼儀正しく′哀れみ深い態度を示すことです。

この大切な美徳が私たちの心の内に宿ることを神様は期待されています。

*片岡健吉(かたおか・けんきち)
土佐国高知(高知県高知市本町2ー3)生まれ。
天保14年(1843)12月26日~明治36年(1903)10月31日享年61。
明治時代の自由民権運動家、政党政治家。初代高知県議会議長。
第1回総選挙から衆議院議員に連続8回当選、衆議院議長もつとめ、「立憲政治の父」と称されている。